「月刊はかた」の姉妹誌として「月刊 九州王国」がありますが6月号の特集は「休日をお寺で」です。


最初に登場したのは筑紫野市の武蔵寺(ぶぞうじ)です。
本の中ではまったく触れられていませんが私の知識では「武蔵寺=(イコール)瓜封じ」です。
毎年、必ず7月下旬の「土用丑の日(どよう うしのひ)」になると「鰻(うなぎ)の蒲焼(かばやき)」の話題とともに、福岡のテレビ局では武蔵寺の瓜封じが取材され放送されます。
きっと皆さんも「あー、アレ!」と御存知のはずですよ。
たぶん、皆が知っているから本の中では避けたのでしょうね。
 瓜封じとは簡単に言えば病気を封じる祈願です。
まず参拝者は各々瓜をいただき凡字(ぼんじ)が記された祈願用の札に願い事を書きます。
次に願い事を書いた瓜を中央に積み上げ、それを取り囲むように大きな数珠を参拝者全員でたぐりながら般若心経を称えます。
そして和尚が参拝者が書いた一つ一つの願い事を読み上げ ・・・・・ と続きます。
何故、瓜が使われるのでしょうか?
それは瓜を輪切りにしたときに見える模様が密教の法具である法輪(左の図)に似ているからだそうです。


さらに本に載ってないことをお話すれば、武蔵寺の創建にかかわったとされる藤原虎麿にまつわるお話が元になって二日市温泉が発見されたということで、古くは武蔵温泉または薬師温泉と呼ばれていたそうです。
話が飛びますが、私の父は第二次世界大戦前に徴兵され近衛兵(このえへい)として皇居の護衛をしていましたが、戦後になっても全国規模で近衛兵時代の仲間たちと親睦を深めるべく様々な行事や会合を行なっていました。
 その福岡支部の会合に二日市温泉の大観荘(だいかんそう)を利用しており、私も何度か父の送迎をしたことがあります。
その道すがら父が、武蔵寺や二日市温泉の話をしてくれたお陰で少しばかりの知識が身についたのですが、もう少し真剣に話を聞いておけば良かったと今更ながら反省するとともに懐かしく思いいます。
しかたが無いので、いつものようにフリー百科事典ウィキペディアを引用して紹介します。
武蔵寺建立にまつわる伝説と二日市温泉発見にまつわる伝説です。(以下、引用)
虎麿が山中で怪火を射落としたが、夢の中でそれは薬師如来が宿る霊木の精であり、その霊木で薬師十二神将像を作り、堂を建てて祀るようお告げあった。これが武蔵寺の建立の由緒と伝えられている。
 虎麿は30歳を過ぎても子供がいないことが悩みであった。虎麿は薬師堂にこもり薬師三尊に祈り縋ったところ、その加護をえて女児を授かることができたという。
ところが疫病が流行り、多くの人々も亡くなった。虎麿の子もこの流行病に罹り、治す手立てがなかった。虎麿はさらに薬師如来に祈願し続けたところ、ある夜、夢の中に一人の僧侶が現れて「ここから東方に葦の生えている湿地があり、そこに温泉がある。ここで入浴させれば、必ず病は治るであろう」と告げ、姿を消した。早速虎麿はその場所に行き茂った葦を刈り、こんこんと湧き出る温泉を見つけた。その温泉に子供を入浴させると、たちまち病気が治ってしまった。これが二日市温泉(薬師温泉・旧武蔵温泉)の始まりと言われている。(瑠璃子姫伝説)


ついでに、大宰府の戒壇院と観世音寺のお話しをしましょう。
本にも載っていますが戒壇院とは本来、出家したものが正式に僧侶になるための戒律を授ける場所、すなわちお坊さんの入口でした。
日本には奈良の東大寺(中央戒壇)、栃木の下野薬師寺(東戒壇)、そして大宰府の観世音寺(筑紫戒壇)の三箇所しかなく日本三戒壇院と呼ばれていました。
当時、大宰府の地は相当に高度な文化を有していたと言えるでしょうね。
筑紫戒壇院は観世音寺の一部でしたが、荒廃した様子を見かねて福岡市の崇福寺(そうふくじ)の和尚が修復し崇福寺の末寺となりました。
元々は天台宗のお寺でしたが今は崇福寺の末寺ですから禅宗ということになり、座禅会が開かれているそうですから興味のある方は参加してみては如何でしょうか? ・・・・・ 私は ・・・・・ 遠慮しますが。

 
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